サイトへ戻る

「草」と戯れ、「草」となれ

自然とつながり大人も子どもも生き生きするたくらみ

· 学びの眼鏡

ゆるキャンプ:探究家族拡張計画

 

11月11日に行われた”We are Generators!自由研究”は「自然とつながり大人も子どもも生き生きするたくらみ」と題して、ゆるキャンプを企画し、子供だけでなく、大人も探究して楽しむ時間の必要性を説く松村勇一郎さん(=まっさん)と、雑草カフェを展開している中山あゆみさん(=あゆみん)をゲストにお迎えした。

まっさんとは昨年、富士五湖の西湖で行われた第1回の「ゆるキャンプ」で知り合った。好奇心旺盛で物腰の柔らかいビジネスマンである。西湖のゆるキャンプでは、ゆるいと言いながら、山登りやカヤックでの西湖横断など、かなりハードだったが、子供はいつも元気で、大人の先を走りまわる。それでも子供を見守る大人が誰かしらいてくれて、勝手に先に行こうが、後からついていく大人たちも何故か安心という不思議な空間がゆるキャンプにはあった。そんな中で僕はマイペースで周囲の草木を観察しながら歩いていたのだけれど、近くにいつもいたのがまっさんだった。それで一緒に山を登ったり、植物を見ながら、何気ない話を共有していた。

broken image

西湖のゆるキャンプの最終日、みんなあまりにも離れ難くて、涙のお別れをしたらしい。僕は仕事の関係で1日早くキャンプから戻り、後日キャンプのサポートをしていた娘から聞いた。それくらい深い関係がそれぞれで生成されていて、このゆるキャンプは探究する家族が「親戚のように拡張した」のだった。この拡張家族を途切れず、新しい居場所を創ることを続けていきたいと考えて、まっさんは今年、神戸三田のテミルで「ゆるキャンプ」を企てたのだった。

 

学習0の威力

 

まっさんが設計したゆるキャンプは、西湖の時よりシンプルで、やることは3つだた。川で遊ぶこと。竹を切って、流しそうめんを作ること。トンネルだらけの廃線跡を歩くこと。これだけ。しかし、西湖同様、子供の運動エネルギーは相当なもので、それを誰かが見守るわけで、大人もほとんど動きっぱなしだったようだ。

broken image

面白いギミックは、会議室の壁一面に模造紙を貼り、何か発見したら、そこに描き込むようになっていた。誰かが発見すると、それに触発されるように自分の発見を描き込み、誰かの発見をみて、思ったことを描き込む。それは教科書以前に、好奇心の赴くまま、キャンパスに現れた知の源泉である。

broken image

モリス・バーマンは『世界の再魔術化ーデカルトからベイトソンへ—』(文藝春秋)において、学習について、1から3まであるという。学習1は「個別具体的な対処法を学ぶこと」。つまり、物事の因果関係を具体的に学ぶことである。学習2は「コンテクスト自体の性質を発見し、個別的なものではなく、他のさまざまな問題に対応する”ルール”学習」をすること。そして、学習3が「全く新しいレベルへ飛躍する」ことと言っている。しかし、市川さんも僕も、学習には0があると言っている。つまり、何か個別具体的なものを分析し、その因果関係を解き明かす前に、その具体的な対象を発見し、気になり、調べ始めるきっかけとなる出来事があるはずだ。その発見の体験や自分自身の眼で偶然見つけてしまった当事者性こそ、学習1につながるモチベーションになる。学校にはない学習0を存分に蓄えて、発酵しまくる場。それがまっさんの設計したゆるキャンプのように思える。

 

あゆみんの雑草カフェ

あゆみんの雑草カフェは目から鱗の連続だった。まず、店主の紹介でジェネレーターの鉄則が炸裂する。

 

”雑草カフェは、お客さんが楽しんでもらうよりも、店主が一番楽しむこと。”

 

これはかつて鶴見良行先生が「学生よりも、まず教える先生がクレイジーにならないといけない」といった発言に重なった。ジェネレーターは、誰よりも自分が楽しむこと。そして、その楽しいが運動エネルギーになって場を動かし始める。そういうものだ。これはさらに清水博先生の「生きている系にはみな、このように動的協力性が働いて秩序を形成」するという指摘にも重なる。店主が一番楽しんでいるエネルギーが場に浸透し、それが動的協力性を発生させ、場が生き生きするのである。

 

あゆみんが紹介してくれた雑草は、次の5つ。

 

1:ナンバンガラムシ(野菜より栄養豊富。βカロチンはほうれん草の8倍)

broken image

2:オオアレチノギク(侵略的外来種。キク科で爽やか)

broken image

3:ハルジオン・ヒメジョオン(一年中無くならない、春菊のような味)

broken image

4:ナズナ(今が旬!芽吹きたての葉はルッコラのよう)

broken image

5:スベリヒユ(オメガ3脂肪酸含有量が植物の中でトップクラス)

broken image

あゆみんは、雑草を食べるようになってから、まさに「道草をくう」ようになったそうで、その理由は道の草が美味しいから。特にナズナは今からが旬なので、読者の皆さんもぜひ、道端を見回してナズナを見つけてほしい、とのことだ。

 

素人としての草、大雑把の草、始まりの草

 

あゆみんの雑草愛を聞きながら、市川さんから「徒然草」、「枕草子」と草にはいろいろな意味があるよね、という指摘があった。確かに「草」の意味は広い。少し考えただけでも、(1)草創=事業を起こすこと、何かが始まることの意味があるし、(2)草案=下書き、完璧ではなく、荒い状態の意味もある。話の中でも出てきた(3)草野球=素人が楽しむ野球という意味もある。

 

つまり、草は、まだ始めで洗練されておらず、荒々しい素人的な意味がある。誰もが初めは、草の状態なのだ。しかし、大人になると草でいることを恥じる風習がやたらと強くなる。この草になれない大人に、もう一度草と戯れ、草のように素人的で楽しい状態を取り戻す仕掛けとして、まっさんとあゆみんの企てがあるように思えてならない。

 

世の大人たちよ、再度、草と戯れ、草となろうではないか。