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たんけんしたら「知」図をつくろう

Feel℃ Walk よもやま話(6)

· おっちゃん「みつかる」記録帳

Eテレで放映されている知恵泉という番組で、家康に見込まれ、江戸時代の経済の基礎をつくった人物として大久保長安が取り上げられた。長安の先人としての底力を紹介する番組だったのだが、その前半20分以上をかけて、八王子というまちをどうつくったかが詳しく解説された。私は八王子で育ったにもかかわらず、大久保長安が八王子に縁の深い人だったことをまったく知らなかった。

豊臣秀吉から江戸へ領地がえさせられた家康は、浅野長政が睨みをきかせる甲斐国への防御を固める必要があった。その時に白羽の矢が立ったのが元・武田家臣蔵前衆だった長安だった。

長安は、一面の野原だった八王子を軍事拠点とせよという家康の命令に対し、人が集まり、商いが生まれれば、砦よりも強固な軍事的な備えとなると考え、新たな商業都市を建設した。

八王子は盆地で、甲府と地形が似ており、また、暴れ川である浅川(昨年の台風でも氾濫しそうになった)の洪水を防ぐための治水工事が必要な点もそっくりだった。長安は、武田仕込みの治水術で、南浅川と浅川の合流地点を変え、遊水池をつくり、信玄堤と同じ霞堤を建設した。こうして八王子は商工業地として発展したのである。

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生まれ育ったまちに関わる歴史について改めて知ると無性に確かめたくなる気持ちが強くなる。懐かしい場所であるからなおさらなのかもしれない。

 

よし、大久保長安の足跡を追い求めて八王子を Feel℃ Walk をしよう

 

早速、訪れることにした。

テレビで出てきた大久保長安が治水をして南浅川と浅川をT字で合流させる地点にやってきた。浅川の流れはほとんどなく、川底があらわになっていた。

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石がゴロゴロしている河原と水流のあるところに二分されているのが普通の川の風景だ。しかし、ここは流れはほんのわずか。泥が固まったような地面に水流が作り出したいくつもの切れ込みが深く刻まれていた。

世の中は、新型コロナウィルス騒ぎで、遊園地が閉鎖されたり、不要不急の外出や集会は控えるように勧告されていた。しかし、屋外で近所の人がのびのび過ごすことになんの問題もなかろう。

そう思った人たちばかり集まったのか、河原には自由に遊ぶ子どもと大人の姿が目立った。友達同士で焚き火をしている高校生や、石を水たまりに投げこんだり、木を振りまわしている子ども。散歩したり、石切りに興じたりする親子。ただのんびり過ごしている人もいる。

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八王子の浅川河原を My Public とする人たちが好き勝手に集結している。これこそ自然な姿なんじゃないか。面白くするもしないも自分次第。素晴らしき土曜日だなと思った。

そんなことを感じながら、すっかり長安の治水のことなど忘れていると、近くに品のいいおじさんが立っていた。なにやら川床の地面を見つめつつ歩いている。

何か探しているのか……

そんな私の思いを察知したのか、おじさんは私に話しかけてきた。

「ここね、珍しい風景だよね。これ、170万年前の地面だよ」

なんと、今、私が立っているところと今とは百万年以上の隔たりがあるのかと思うとなぜだか感慨深い。土手からぴょんと駆け下りただけでタイムスリップだ。

「もう少し上流へ行くとね、メタセコイアの切り株の化石がありますよ」

おじさんの言葉を聞いて少年時代の記憶が蘇る。昭島・立川・日野・八王子の多摩川・浅川は、化石が普通にみつかる宝庫なのだ。昔、わが家のすぐそばの浅川で、ヒノクジラと呼ばれた古代クジラの化石が出た。貝の化石を見つけるのはそう難しくないことだった。

ふと地面をみると、川床に炭化した木の年輪が見えた。

「これも化石かな」

私がつぶやくと、おじさんは

「あれ、そうかもしれないな。このあたりこんなのゴロゴロしてるんだよね」

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確かに改めて付近を見渡すと、凝灰質の泥のようにやわらかい川床に半化石化、炭化している木がたくさん埋まっているではないか。さっきまでまったく気づかなかったのにもう見え方がまったく違ってしまっている。

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いろいろ詳しいのでおじさんは理科の先生なのかなと思って聞いてみると

「いや、ただ興味があるだけ。こんなに川床が見えたら降りたくなるじゃない」

こう言い残して去っていった。

好奇心が作動したから私は横道にそれて河原に降りた。おじさんも好奇心が作動したからやっぱり河原に降りた。好奇心が作動する人の行動パターンが共通しているから、偶然とは言いながら会うべくして会った。こうして出会った人から面白い情報を得て、さらに好奇心は高まってゆく。面白き他者との連鎖に入り込んでしまうのが Feel℃ Walk だ。

メタセコイアの大きな切り株の化石やら琥珀になりかかっているコーパルやらがみつかる浅川だから、この程度の発見は大したことではないかもしれない。土砂に流され、土に埋もれ、その上にさらに堆積し、一旦、隠れた地層が、浅川の流れで侵食し、再び陽の目を見た。そのプロセスの中で化石化しつつある木々に接した感動は抑えきれない。ちょっと茶褐色になっている木の破片をみるとやがてこいつも琥珀になるのかなと妄想してしまう。

 

さらに河原を歩いていると、昨年の台風の激流で流されたと思われる岩の塊があちこちに転がっていた。その岩の中には木が食い込んでミルフィーユ状だ。木の部分は炭化しているせいか、真っ黒い層になっている。さっきのおじさんが、昔、これを石炭と勘違いした人たちがいたと教えてくれたが、確かにそう見えなくもない

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こうした岩が転がって移動するのは、はがれやすいうえに、木を含んでいて軽石のように浮いてしまい、激流に流されやすいからだろうか。

数百万年単位の変化と一瞬の変化とが同居して、刻々と土地の姿は変わることを浅川の河原をちょっと歩いただけで実感できる。

久しぶりに子ども時代に戻って、浅川「化石」たんけん隊 Feel℃ Walk を雑草が生い茂る前にやりたい気持ちに駆られる。

家に戻って早速「知」図を作る。浅川の河原以外に、大久保長安の痕跡に多く出「遇」った。生まれ育ち、あちこち歩き回ったはずのまちなのに知らないこと、新たに発見したことだらけだった。

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歩いていてまちでみつかった案内表示やパンフレットに書かれていた情報、そして、出「遇」った人から聞いた情報、そこに自分がそのとき感じたことを加えただけで下の写真のようなマップができる。これを「知」図と呼んでいる。

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もちろんもっともっとみつかったモノ・コト・ヒトはあった。でも、自分のアンテナになんとなくひっかかったことだけを取り上げて、すべてを網羅しないという Feel℃ も大事だ。A3サイズの「制約」に素直に従おう。取りこぼしや漏れを気にすることはない。こうしたことの積み重ねで、いったい自分は何を追い求めようとしているのか探ることの方が大事だから。

 

したがって、「知」図づくりを1回だけやってもあまり意味がない。あちこち歩いて、その度ごとにこうした「知」図を作成し、蓄積してゆくこと。そうすると、あるとき「ひょっとして?」の仮説がジェネレートする。「ただ集める」「ただ表す」その積み重ねに尽きるのだ。

おやつの時間に1時間だけ時間を確保して、知のジェネレートタイム。コーヒーを飲みながら、つくった「知」図を眺めてみる。やっぱり気になるのは浅川の地質のことだ。

 

どうしてあそこだけ普通の川床とは異なる、泥の質の岩と化石があらわになっているんだろう。

 

そこで、ウェブで調べてみると面白い図がみつかった。

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この図を見ていたら、ふと2月初旬に多摩丘陵長沼公園をFeel℃ Walk した際に撮影しておいた地層分布図のことも思い出した。

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ぶらり歩いて気になった案内表示は必ず写真におさめておくのは本当に重要だ。そのときには使わなくても、後で使うときがやってくる。

こうして ウェブ × 現地獲得情報 してみると……

海底から大きく隆起してできたのが関東山地(秩父から奥多摩、丹沢へかけて)。沈降した平野部が武蔵野。全体が海に沈んだ時もあれば、一部が陸となり海となって分かれた時もある。百万年単位でとらえる地表の動きの中で、海と陸との境目の辺りが、昭島・立川南部・日野・八王子東部。だから陸に住んでいた古代ゾウの化石と海に生息していた古代クジラの化石がほぼ同じところから掘り出された。木の化石とともに貝の化石も出る。生き物の足跡などが残された生痕化石も出る。

 

東京都心から奥多摩まで、全体の基盤をなす地層は、厚さ800mにも及ぶ上総層群。海底で砂・泥・火山灰などが堆積され形成された。上総層群は、斜めに堆積されたため、上流部では削られ、中・下流部では上流からの堆積物や火山灰などで埋もれてしまった。常に川の流れに削られつつ上総層群の表面があらわになっているために、百数十年前の地層が今、見られるのだ。

百数十年前と今とをつなぐエリアがこの間歩いた八王子の浅川。同じ浅川の日野の平山橋付近や多摩川の拝島橋、日野橋付近も同様だ。

長沼公園の丘陵地帯の展望台からは先週歩いた八王子の街と浅川を望むことができる。

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この丘の上もあの川床も同じ地質なのか

 

と、別々の体験を思い返しながら、家で図や写真を見比べて、実感とともに理解する。なんか研究者っぽいじゃないww

 

街で出「遇」った情報をストックしてつなげて学んでゆくとはこういうこと。とっても探索的。テレビや映画のドキュメンタリーの「ホスト役」と同じ立場なので、まさに「なりきって」ミステリーを解き明かすように知を構成できる。

 

さて、今日はここまで。また仕事に戻りましょう。

 

Feel℃ Walk からの「知」図づくり。ぜひみなさんと一緒にやりたいな。春からの「みつかる+わかる」はそんな企画をたくさんしたいと思っています😄