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偶然採集と目的採集

柳田國男の資料採集の過程で考えたこと

起|柳田國男のフォースに導かれる

日本の民俗学の祖といえば、柳田國男だ。これまで柳田國男との接点は大学院の研究過程で一度あった。NPO・NGOの社会変動を研究していた私は、水俣研究で知られる社会学者の鶴見和子の分析フレームを参考に現代のボランティアを捉え直す作業をしていた。そのフレームは「漂泊と定住」という二つの因子が社会変動をもたらすというもので、実は柳田國男が提唱していたものだった。

僕が龍谷大学大学院で研究していた民際学は、国家間を研究主体とする既存の国際学とは違い、民衆と民衆の関係性から社会科学領域の問題を捉え直すもので、その手法は民俗学や文化人類学的手法を基本としていた。民際学を構築した中村尚司鶴見良行のアプローチは現代の当事者研究を先取りするもので、客観的に観察するのではなく、当事者性を大事に対象と関わりながら、その場にある社会問題をどう捉え直し、それがどういう意味を持つのかを示すものだった。その研究室で柳田國男の社会変動モデルを手がかりに研究していたにもかかわらず、柳田國男の本丸に行き着くことができなかった。

しかし、20数年の時を超えて、柳田國男のフォースに導かれることになった。それは市川さんが「市川探究」を進めている中で、柳田國男が生まれた姫路の地を偶然発見したことから始まる。

Facebookの記事はこんな感じだ。

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姫路で高校生へ「雑」のアーカイバー入門授業を行うために向かう。なんとなく山陽電車で姫路に行こうと思い、三宮で乗り換え、なんとなく飾磨で降りた時に飛び込んできた地図を見ると……

なんと姫路のちょっと北に柳田國男の生家があるではないか。市川のほとりで「雑」のアーカイバーの巨人は育ったことを知る。

「子どものころに、市川で泳いでいるとお尻を抜かれるという話がよくあった。それが河童の特徴なわけで、私らの子供仲間でもその犠牲になったものが多かった。毎夏一人ぐらいは、尻を抜かれて水死した話を耳にしたものである。市川の川っぷちに駒が岩というのがある。今は小さくなって頭だけしか見えていないが、昔はずいぶん大きかった」(柳田國男『故郷七十年 駒ヶ岩の河太郎)

市川は柳田民俗学の原点・原体験だった。さらに河童の章の先まで読み進めると……

「『かんがえる』(考える)が『おぼえる』より尊いと思う風潮もあるようであるが、『かんがえる』という語こそ、考えるべきことで、古語に「カン」音はないため、「かうがえる」といっているが、あれは古い輸入語である。……(中略)……『おぼえる』という日本語が折角あっても、『おぼえ』ただけで停止しては困るのであって、『おもう』自分で、考え出すという風にありたいものである」(柳田國男『故郷七十年 学問の本義』)

いやあこれはまさに不「覚」だった!

姫路から戻ってきた市川さんから「原尻さん、まなぶ、かんがえる以前に、おぼえることの原点を指摘している柳田國男はやはり只者ではないですよ。やはり柳田國男という民俗学の開祖を押さえないと」と言われた私は、どこか柳田國男を避けてきた自分を反省し、まずは柳田國男自身が人生を描いている『故郷七十年』を読むことにしたのだった。

承|成城大学民俗学研究所

しかし、自分の体験と絡んでいない文字を読むことが苦手な私は、柳田國男の聖地を訪れ、柳田体験をした後に本を読んだ方が身に入る、と考えた。そこでいろいろ検索してみると、柳田國男の民俗学資料を引継ぎ、現在もなお柳田研究を行っている「成城大学民俗学研究所」を発見することができた。WEBで調べると、コロナ禍でも予約制で人数を制限しながら運営していた。そこで予約を入れ、朝から柳田フォースを浴びに成城大学へ向かった。

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民俗学研究所は図書館の裏の4号館にあった。受付で登録を済ませると、研究所の林洋平さんが柳田國男の資料に関して、簡単なガイダンスをしてくれ、とても参考になった。中でも柳田自身が編集に関わり柳田研究をする上での基礎資料となっている筑摩書房の「定本 柳田國男集」を紹介していただき、インデックスからキーワードを探して資料を逆引きする方法も教えていただいた。それが功を奏して、ほぼ1日で僕が探したい柳田國男の「方法的視点」を収集することができたのだった。

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転|偶然採集と目的採集

インデックスをパラパラとめくっていく中で、一番初めに僕の目に飛び込んできたのは「偶然」という言葉だった。意外にも柳田國男集の中には「偶然」という言葉がかなりの量で語られている。これは第一の「発見」だった。

偶然という言葉につながって、さらに面白い言葉を見つけた。それは「偶然記録」というものである。柳田國男は次のように偶然記録を説明している。

「殊に所謂郷土史料の捜索に当たって、受負仕事の郡誌編纂が、往々見落としてしまふ大切な材料は、私たちが名づけて外部記録又は偶然記録といって居るものの中に多いのであります。

日本総国の歴史に於いても、松下見林(まつしたけんりん)の異称日本伝、それからずっと後れて山本北斎(やまもとほくさい)の日本外志などが出てからは、学者のものの考え方が著しく変ったのであります。

最近にも異国業書などに於いて、欧羅巴人の見聞の類が段々和訳され、それを読んで見て始めてはつと心付くことは中々多い。勿論沢山の誤解はありますが、それに警戒することは我々には何でもありません。それよりも内側に居る者が見慣れ又有りふれて、書き伝ふるにも足らぬと思う平凡事が、実は意味深い者であり、もしくは知らぬ間に推移つて、後々は自分も忘れてしまふことが、却って習慣圏外の人の注意によって、漸く之を復原して自省の手掛かりとする場合は多いのでありました。」

 出典:定本 柳田國男集 「菅江真澄」p384 (筑摩書房)

なんということか。これは「みつかる+わかる」が重じている「偶」の重要性を柳田國男までもが指摘していたのだった。この「偶然記録」あるいは「偶然採集」ともいうべきキーワードを伝えるために、柳田國男が成城大学へ僕を向かわせたように思えて仕方がなかった。

そこで「偶然」を採集することに対する柳田の態度を確かめたくなり、研究員の林さんに話しかけると意外な回答が返ってきたから面白い。林さん曰く、全ての民俗学研究者が「偶然」を獲得することは難しく、研究者が情報採集する際の質の均一化こそ大事だと考えた柳田はむしろ「目的採集」を意識していた、というのだった。そこで林さんに教えてもらったのが「採集手帖」である。これは情報採取のレベルを均一にするためにあらかじめ100の質問を用意し、調査者の誰もが抜け漏れがなく、民俗知を引き出すために作られた手帳型の質問ノートである。これが全国山村生活調査でフル活用された。柳田國男の意識は、やはり日本の民俗学を誰もが同じレベルで実施できる「学問」として確立することであって、どちらかというと偶然採取の大事さもわかりながら、それを個人芸に留めないための工夫を考えていたのだった。

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結|偶然は世界が差し出してくれる宝物

林さんとのやりとりの中で思い出した言葉があった。それはミヒャエル・エンデの次のような言葉である。

「自分の内部を探すのではなくて、課題は外なる生がもたらしてくれる。 外からこちらに近づいてくる。これがほんとうにだいじなことです。 やたらに自分の中にもぐりこんで聞き耳を立てるのではなくて、 世界が自分に差し出してくれるものに気づくこと。」出典:子安美和子『エンデと語る 作品・半生・世界観』(朝日選書306)

偶然という素晴らしい宝物は、実は世界が自分に差し出してくれているものなのだ。その偶然関わってしまった不思議(テーマ)に対して、それを自分ごととして捉え直し、それを目的化して継続的に探究し続ける。それが本当の意味での学びだと思う。

柳田國男が教えてくれた「偶然採集」から「目的採集」へ向かう流れは、当社団の「みつかる」から「わかる」に対応している。今回の柳田フォースは、まさに我々が磨き上げようとしているGenerative Learningのヒントになるものであった。成城大学民俗学研究所でコピーしてきた論考を読み込み、さらに柳田の方法をこれからの学びに捉え直す作業を進めていきたい。