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宮本常一という
ジェネレーターの誕生

ジェネレーター研究講座

「民俗学者宮本常一のフィールド写真から学ぶ雑のアーカイブ技法」

· ジェネレーター研究講座

Homo Hendes:ホモ「変」です

東京学芸大学という「教師」を育成する機関に、変人類学研究所という名の奇妙な研究所がある。変人類学研究所は「幼少期に最も高いと想定される、常識にとらわれない豊かな発想を基盤とした思考力・行動力(=「変差値」)が維持・拡張されていくメカニズムを解明し、具体的な教育プログラムとして構築していくことを目的」とした研究機関だ。そこで所長をしている人類学者の小西公大先生に数年前、お会いした時、何というか同じニオイがした。この変人類学の親分は、きっとジェネレーターに違いない。そう感じたのである。We are Generators!を立ち上げて、研究会を開こうという話が出たとき、講師で真っ先に浮かんだのが小西先生だった。ジェネレーターの生みの親の市川さんと変人類学の親分が出会ったら、面白いに決まっているからだ。

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今回は、その小西先生に「宮本常一の写真」についてお話ししてもらった。理由は3つある。

第一に、Generative Learnningを構築する際に、フィールドで写真をメモがわりに撮る「先輩」として宮本常一の流儀が知りたかった。まだネガフィルムで写真を撮り、現像していた時代に、宮本常一は10万枚という驚異的な写真を納めていた達人だ。その達人が写真をどう考え、どう扱い、どう使うのか、純粋に知りたかったのである。

第二に、小西先生はカメラにめっぽう詳しい。『フィールド写真術』(古今書院)で、フィールドでの写真技術についての本を出版している。それだけでなく、その本の中で宮本常一の写真についてのエッセイも書いている点も魅力的だった。

第三に、小西先生のフィールド教育の本を読んだときに、新潟県・佐渡島で宮本常一が撮った写真を手がかりに町を歩き、人々と交流するユニークな授業をしていたからだ。小西先生のユニークさは、写真を研究の資料として使うのではなく、フィールドを歩く「ツールとして宮本写真」を使っている点だ。こういう授業ができるのは、写真の持つ本質をわかっている人でないとできない。

ところが、である。小西先生の話の構成は、まず「変人思考」の話から始まった。変容の時代。今、何か蠢いている、地殻変動を起こしている時期であり、新しい意味の世界や価値体系が求められている時代において、変人が必要なのだということ。これまで「偏差値」で測られてきた基準ではなく、「変差値」で捉える必要があること。そして、普通というのはなくて、実は僕らは生まれた時ずっと変だったわけで、人類はホモ・サピエンスではなく、ホモ・ヘンデスだったのだ、という。更に、小西先生のキーワードの1つ「馴質異化(じゅんしついか)」が出てくる。馴質異化とは「既存のものを新しい視点から見ることで新しい発想を得る」意で、みつかる+わかるでよく使う「リフレーム」と同義である。そして、この馴質異化こそ、変人思考なのであった。なるほど。深いところで、「馴質異化=リフレーム=意味の捉え直し」がつながった。

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*変人思考から宮本常一の写真の話を議論する3人。小西先生✖️市川力✖️原尻淳一。

 

宮本常一というジェネレーターの誕生

日本の民俗学の祖は柳田國男である。成城大学にある「民俗学研究所」で、柳田に関する資料を読んでいた時、私はたまたま「偶然採集」という言葉を発見し、「偶然」に対する柳田の態度を無性に知りたくなった。そこで研究員の林さんに話しかけると、「全ての民俗学研究者が「偶然」を獲得することは難しい。柳田は南方熊楠のように研究が個人芸になってしまうことを避けたかった。学問としての民俗学をどう作るかを真剣に考えていた。だから、研究者が情報採集する際の質の均一化こそ大事だと考えていた」ようだ。従って、柳田が意識していたのはむしろ「目的採集」だった。「採集手帖」というあらかじめ質問項目を用意し、それを現場で聞き、その情報から分析・考察を加えるというスタイルを発明したのだった。しかし、そういった調査スタイルは山村から情報だけを奪い、しかも理論を裏付けするためだけに調査を利用する学者も多く、「略奪調査」として現場からは嫌われることもあった。

これと対照的なのが宮本常一のフィールド調査である。宮本の「フィールド・ワーカーの心がけ」という文章の中で、渋沢敬三に受けた薫陶について書いている。少し長いが、宮本常一の現場の態度の本質がわかる重要なポイントなので、記載しておく。

"私は渋沢敬三というすぐれた知性人の指導をうけてフィールド・ワーカーになったため、この先覚者の言動をできるだけ忠実に守って今日にいたっている。かつて渋沢先生が、私をいましめていわれたことばが3つあった。その一つは他人に迷惑をかけないこと第二はでしゃばらないこと、すなわちその場で、自分を必要としなくなったときは、そこにいることを周囲の人に意識させないほどにしているということである。そして、第三に他人の喜びを心から喜びあえること、というのがそれであった。

何でもないことのようであるが、これを実行することは実にむずかしいことである。自分で迷惑をかけてはいないと思っていても、相手に迷惑をかけていることは多い。その上でつい出しゃばりになる。まして人を褒めているのをきくと、ケチをつけたがるものである。

「自分でいい気になっていると、思わぬことで相手に迷惑をかけていることがある」と渋沢先生はしばしばそういっておられた。

九学会連合が結成されて、昭和二十五年、二十六年に対馬の総合調査がおこなわれたとき、先生は両年度ともに渡島して時間のゆるす限り島を見て歩かれた。島民の協力の大きさ、同時に目に見えぬ負担の大きさも考えて、「何か島へお返ししなければならないが何が良いだろう」と私に相談された。

当時対馬では、電灯のともる地域とランプの地域が半々くらいであった。そのランプ地帯を「電灯にきりかえることはできないものでしょうか」と私見をのべると、「これは融資でできる。日本銀行の長崎支店と地元の銀行が協力すればできるのだから、そのように話をしておこう」と対馬からの帰路、長崎へ立ち寄ってその話をすすめて下さった。渋沢先生はそういう人であった。九学会連合の能登調査、奄美大島調査、佐渡調査にもこまやかな配慮をされ、しかもそれが目立たぬようにつとめておられた。

「調査というのは地元から何かを奪って来るのだから、必ずなんらかのお返しをする気持はほしいものだ」ともいっておられ、それをまた忠実に実行していた。

私の旅も先生のそのような言動に大きく影響をうけ、できるだけお世話になりっぱなしにならないように心がけて来た。しかしいまふりかえってみると、やはり迷惑をかけた方が多かったのではないかと思っている。"

出典:宮本常一+安渓遊地『調査されるという迷惑』(みずのわ出版)p14-15

*宮本の晩年、親交のあった泊清寺住職の新山さんの話。沖家室島の橋をかけたい島民の想いを東京に帰ってすぐに国交省に行ってくれたと言う。その行動はまるで対馬から長崎へ立ち寄る渋沢敬三そのもの。

更に宮本は自身が請け負っていた調査について次のようにも言っている。

"私の調査は民俗だけでなく、農業経営、林業経営、漁業経営など、農山漁村の経済実態調査にもかなりの時間をさいた。そしてそれは単に調査をするだけでなく、今後をどうしたらよいか、というような問題にまで干渉しなければならないことが多かった。"

出典:宮本常一+安渓遊地『調査されるという迷惑』(みずのわ出版)p15

つまり、宮本は(1)渋沢敬三の地元にお返しする配慮と実行力に加え、(2)客観的に分析するだけではダメで、現地の人々になりきって(当事者になりきれなくても、当事者性を持って)、問題を解決する、一歩踏み込んだ仕事からの必要性も相まって、単なる研究者を超えて、ジェネレーターとしての振る舞いが生まれたのではないか、と考えられるのである。

 

宮本写真に迫る

さて、宮本常一の写真についてである。小西先生は宮本常一の写真は下手だという。その下手さは、作品としては下手なのだけれど、自分の見たものが先行していて、大変臨場感があり、偶発性が盛り込まれており、見る人のイマジネーションを掻き立てるものだと言う。そして、宮本がフィールドに出た時、生徒たちにこう言っていたという。

これは名言だ。フィールドで世界が僕らに差し出してくれているものを受信した時の脳内に響くシグナルを「おや?はっ!」と言う音でわかりやすく伝えてくれている。

更に小西先生の言葉でなるほどと思ったのが「カメラを持つからこそ、何を撮ろうかと言うアンテナがたつ」という指摘だ。普段、私たちはただ歩いているときには、目的地にいくことをぼんやり思っているだけで、外界をあまり気にしないで歩いてしまう。しかし、カメラを持っているだけで、外界の対象に対して敏感になるのは確かだ。

*宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)の研究員の方が語る宮本写真

今の学生たちはみんなスマホを持っていて、本当に羨ましい。僕らが学生時代はカメラは高額で買えなかった。「写るんです」のようなインスタントカメラで済ませていた時代から考えると、夢のような環境である。だからこそ、この技術革新をフィールド教育で生かしていかなければならないと思う。

さあ、皆さん、寺山修司ではないけれど、今こそ「カメラ片手に、街に出よう」。そして、「おや?はっ!」と思った偶然採集を始めよう。そこで気になったものを観察し、仮説を考えて、知図を描いてみよう。その蓄積が「変」差値を高めるはずだ。変差値は、変=幸(へん・さち)とも取れる。きっと皆さんの心に幸をもたらすはずなのだ。