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「編みなおす」ことについての一考察

次女の大学受験における実験から

· 学びの眼鏡

1:「東大合格者生のノートはどうして美しいのか?」を読みなおして気づいたこと

 

ようやく次女の大学受験が終わった。

本人が納得のいく学校に合格できたから、親としては一安心している。

次女は国語はよくできるものの、日本史がどうも苦手だった。中学校の歴史とは違い、圧倒的に細かい情報を覚えなければならない高校の日本史に対して、どう対処して良いのか、わからないようだった。その昔、僕もやっていた山川の「一問一答」でチェックしていたようだが、知識の詰め込み量が多すぎて短期記憶で対処できない。そこで何かヒントがないものかと、長女の本棚をみていた時に眼に飛び込んで来たのが、太田あやさんが書いた『東大合格生のノートはどうして美しいのか?』(文藝春秋)だった。

この本の中には、東大合格者のノートサンプルがたくさん掲載されている。そのサンプルの中から、日本史のノートを探して、彼らがどのようにノートを取っていたのかを分析してみて気づいたことがあった。それは、東大合格者は単に学校の先生の板書を写しているだけでなく、教科書・資料集・プリント・試験内容・模擬試験の内容を素材として、自分だけの教科書を編みなおしている、ということだった。自分の脳に格納できる形に編集して、自分が覚えきれない部分を試験で発見したら、そこを重点的に再格納するためにさらに情報を編みなおす。その繰り返しの結果、「自分だけの日本史の教科書」を作っているように見えたのである。これだ、と思った。

 

2:受験生の次女と日本史の教科書を編みなおしてみた

 

そこで高2の夏から次女と日本史の教科書を編みなおすプロジェクトを始めた。

やることは簡単。次のような手順である。

 

(1)日本史の問題集(大きな流れとともに政治体制や文化史など要点がまとめっている)を1冊購入して、全部コピーをする。

(2)コピーした問題をハサミで切り貼りして、教科書の原型を作る。ノートはわからないところをいつでも補充できるよう編集性の高いルーズリーフにした。

(3)右ページに問題穴埋め。左ページはできないところの情報再編集(ここは資料集がいい素材になる)

(4)高3の夏休み前までにできなくていいから問題を全部やる。(理想は春休みに全部やることかも。近現代は夏休みまでには一度終わらせることが重要)

(5)学校の中間期末テスト及び模擬試験でできないところをチェックして、わからない情報を編みなおす

(6)模擬試験の前にざっと読みなおして、それでもできない部分には付箋でマーキング

(7)これを繰り返して、自分の教科書磨き続ける

(8)秋以降には、志望校の赤本問題を追加して、傾向と対策を重ねる

(9)試験会場には自分の教科書を持っていき、付箋部分を中心に最終チェック

 という作業を1年かけて行い、徐々に成績は向上し、冬の最終模試では偏差値も志望校に到達した。次女の大学受験で実証実験をし、その成果が出たので、これから大学受験を目指す方々で興味のある人は試してみてほしい。

*イチローさんは問答の中で、教科書とは「自分で作りあげるもの」と答えている。これも編みなおす学びのように思える。

 

3:鶴見俊輔のアンラーンの解釈

この「編みなおす学び」について、多くの示唆を与えてくれたのは哲学者の鶴見俊輔先生であった。鶴見先生は、ヘレン・ケラーに出会った時のことを思い出し、次のように書いている。

 

”十七歳の夏休み、ニューヨークの日本図書館ではたらいているときに、ヘレン・ケラーが手話の通訳とともにその図書館にやってきた。

館長が、宮城道雄の「春の海」のレコードをかけると、ヘレン・ケラーは、蓄音機に手をふれて、そのふるえから何かを感じて、音楽についての感想をはなし、偶然、私に質問して、私がハーヴァードの学生だとこたえると、自分はそのとなりのラドクリフ女子大学に行った、そこでたくさんのことを「まなんだ」が、それからあとたくさん「まなびほぐさ」なければならなかった、と言った。

たくさんのことをまなび(learn)、たくさんのことをまなびほぐす(unlearn)。それは型通りのスウェーターをまず編み、次に、もう一度もとの毛糸にもどしてから、自分の体型の必要にあわせて編みなおすという情景を呼びさました。”

 

最後の一文は、まさに次女との実験のプロセスそのままである。この1年の日本史の学びは、次女の脳の知覚にフィットするようにWeaving(編み直す)ことだったと思うのだ。

 

4:中島みゆきの「糸」理論

ここで改めて、編みなおす学びを受験勉強ではなく、みつかる+わかるモデルに拡張して考えてみたい。

編むという言葉や鶴見先生のスウェーターの例えから、やはり織物に見立てて考えた時、糸の質が大事なように思えた。すると脳裏に浮かんだのは中島みゆきの「糸」の歌詞だった。

 

「縦の糸はあなた 横の糸はわたし 織りなす布は いつか誰かを 暖めうるのかもしれない」

 

これを編みなおす学びに書き直してみると、

「縦の糸は体験・好奇心 横の糸は先行研究・文献 織りなす知は いつか反芻・発酵し 借り物ではなく、自分の言葉として発せられるのかもしれない」

 

と書き換えることができようか。

さらに気づくことがあった。

梅棹忠夫の「知的生産の技術」における「こざね法」は、まさに知を編みなおす技法、そのものではないか。

フィールドワークに基づく強い縦糸に、横糸の既存知を織り交ぜて、独創こ素晴らしい研究だと言い切っていた梅棹忠夫のメッセージが、「糸」理論と合間って、僕の頭の中でずっと反芻している。

 

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